掃除と風水
風水なるものを信じるかどうかは別として、この風水と掃除とは、かなり密接な関係があるようです。さまざまなサイトを訪問し、また検索し、自分なりに調べてみると、どのサイトでも必ずといっていいほど風水の説明で登場してくるのは、小まめな掃除であり整理整頓でありました。
風水それ自体は、これはかなり緻密な理論体系により成り立っており、短絡的に西側にはコレ、東側にはアレとか言えるシロモノではないことが分かります。では、どうしろって言うのだろうかと、汗水たらしてアチコチ尋ね歩いてみたところ、どうやらかかわる風水師によってそのご意見たるやまったく違っているご様子なのでありました。
こちらサイトとしては、なにも風水の正邪、高低、浅深を見極める必要もなく、その矛盾を粗探しするつもりも毛頭ありません。なぜなら、人間生活というものはそもそも人矛盾に覆われており、その矛盾するという現実に対して、まったく矛盾しないなんて教えがあったとしたら、たぶん現実のぼくたちの生活には何の役にも立つまいと考えるからです。
矛盾するという現実。ぼくたちは、紛れもなくその現実に生きているのです。そして、これは多分に想像の範囲なのですけど、風水なるものは、その矛盾する力の調整されたバランスの上に成り立つモノなのではなかろうかって思うのです。相反し、相拮抗し、相矛盾するというさまざまなパワー。そのパワーを調節し、調整し、そのバランスの上に人間生活を幸福なモノと存在させようとした、それが風水なのではなかろうかって思うのです。さて、そのように考えてくると、やたらにキレイにしろとか、整理整頓しろとか、要するに小まめにキチッと掃除しろとか教える風水にも、なんとなくではありますが、多少の理解と合点がいったような気になってまいります。
もちろん、こちらサイトは風水についてまったくの素人です。その素人が、”何をエラそうに“とお叱りを受けるかもしれません。ですから、あまり分かったようなことは言わないつもりなのです。ですが、風水の根本的な精神なるものを想像すると、要するに、”多くの人たちよ、幸福であれ。また、あなたの幸福をこれでつかめ“とも聞こえる、風水の声が聞こえてくるような気がするのです。
環境と人間と風水
ぼくたちには、嗅覚・視覚などの五感があります。それは、例え寝ている時でさえ、常に働いていて、ぼくたちに周囲の情報を教えております。環境は常に変化しておりますが、ぼくたちの五感はそれらを俊敏にキャッチし、それに対応するよう私たちを促しているのです。つまり、その情報はぼくたちの思考や感情に影響を及ぼしていると言えるのです。
そして、ぼくたちの思考や感情は、直接、ぼくたちの人生にその影響を及ぼすものであります。ですから、一人の人間の人生を左右するのは、育った環境からの影響が実に大きいと言わざるを得ないと考えます。
風水的な言い方をすると、汚い場所にずっと居ると、その情報が脳jへと送られます。そのため汚いイメージと汚れた思考が脳を占領し、それが、大きな障害となって、その人の良き行動を妨げてしまい、その結果、その人は不幸になってしまうといったところではないでしょうか。
要するに風水とは、ぼくはバランスではなかろうかって考えるのです。風水が掃除を奨励し、その実行を促すのも、それによって得るところのバランスが、あなたをきっと幸せにしますよってことなのでは、と思うのです。
環境は人間の精神面を確かに左右すると思います。しかしながら、その環境を支配するのは、ぼくたち人間なのではないでしょうか。モナリザで有名な、レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼の逸話でこんなのがあります。
“彼のいくところ、陰気な人も晴れやかに、頑固な心もやわらかに、粗末な部屋も輝いた”のだそうですよ。
つまり、彼は見事に、環境を支配していたのです。環境がどうあれ、風水的なバランスを自らの精神力をもって実現させていたのです。と言えば、少々、言い過ぎでしょうか。しかし、風水に見られる矛盾を解決しようと思った時、彼の環境を支配し得たその精神力というものが、その解決の糸口になるのではないかと考えるのです。
環境は人間に影響を与えます。しかし、人間もその環境を左右し得るのです。風水の言う“掃除をせよ、整理整頓をこころがけよ”ということの本意は、解釈上の少しぐらいの矛盾に頭を悩ますよりも、臨機応変に人生のバランスを得て自らの幸福を獲得せよということなのではと思うのです。